マルカミ農縁の歴史は代表取締役上山根有史(カミヤマネユウシ)の祖父にさかのぼります。
祖父は山を切り開き、開墾した地に柿の木を植えました。西条柿の生産がそこから始まりました。
そんな祖父も体力がなくなり、父が柿栽培を引継ぎました。
祖父と父の柿畑に連れられて遊び場にしながら、時には収穫を手伝いながら私は幼いころから柿と接し過ごしてきました。父が11月に21時を超えても外で収穫した柿の選別をしていたのを20年以上たった今でも覚えています。
祖父が作ってくれる干し柿、父が作った合わせ柿は美味しくていつも食べ過ぎていました。
祖父の軽トラに犬と、私で柿畑へ行く。私は所謂おじいちゃん子で、とても可愛いがってもらいました。祖父は私が中学3年生の冬この世を去りました。「有史!おじいちゃんが危篤だよ!病院へ行こう!」当時剣道に励んでいた私を急いだ様子の母が病院へ連れて行ってくれました。
農業をしている祖父と父と過ごし、私の中でもいつしか農業が当たり前のものになりました。
この美味しい柿を毎年お届けしているお客様にも届けられなくなってしまう。祖父が始め、父が育てた柿、私が継ごう。そう中学生の時に思いました。
その後農林高校と農林大学校で農業を学び、その想いはより一層固くなりました。
農林大学校を卒業して、農業を継ごうと思っていましたが、親父に「外にでろ、世の中をもっとみろ。お前は農業しなくても良い」そう言われ私は5年間会社員として働きました。
会社員になり働く中で、商品をお客様に笑顔でお届けする仕事にとてもやりがいを感じていました。
当時、売上では同期生20人中常にトップで専務などの会議でも私の名前があがっていたようでした。
昇進も早く、良い仕事に巡り会えました。しかし、農業をしたい。祖父が始め、親父が育てた農業をやりたい。その想いは消えませんでした。
「父の体調があまり良くない」
そう母に言われ、会社員を辞める決意をしました。
父と一緒に農業をしました。上手く技術や想いを伝えられない父、受け止められない私。
喧嘩も沢山しました。その中で1つ1つと技術を受け継ぎ、父から経営を継承するため株式会社を立ち上げよう。上山根農園はマルカミ農縁株式会社になりました。
マルカミ農縁の由来、マルカミはというマークを使い市場へ出荷していた名残り。名前は変わるけども祖父、父の代から、ご愛用してくれるお客様と地域の方との関係を引き継ごう。そして農縁、農園ではなく人と人とのご縁を大切に農業をしよう。なので「園」ではなく「縁」。今でも経営の柱はいつも愛用してくださるお客様です。
農業は自然を相手にしている仕事です。
台風で枝が折れ、葉が吹き飛び、柿が地面に落ちました。木が病気になってしまい。葉が全て落ちました。悲しくて、悔しくて、それでも喜んでくれるお客様がいる。美味しいと喜んでくれる人がいる。そう思うと山の中独りで作業するのはとてもやりがいがあります。朝日が昇り、夕日が沈むのを山中で眺めながら作業をしていると気持ちが澄み渡ります。天職だと思います。
2022年娘が生まれ。私の作った柿を幸せそうな顔で食べてくれました。パクっと食べ「ウンウンウンウン」と笑顔で顔を縦に振りました。やりがいがまた1つ増えました。美味しいと喜んでくれる家族のためにも柿を一生懸命つくろう。勿論妻もそうです。いつもできたての柿を妻に食べて貰うのが私の楽しみです。
弊社の柿を食べてくれるお客様にもこの口福をお届けしたい。
マルカミ農縁の「幻の柿」西条柿は、山中の澄んだ空気、健康な土、丁寧な手入れで育てています。
柿は道端にあり、もいで食べるもの。そういった一面もあります。しかし丁寧に育てた西条柿の甘味、食感にはきっと感動してもらえると思います。
あなたやあなたの大切な人が弊社で育てた「幻の柿」を口にした時、笑顔になってくだされば私たちは嬉しいです。西条柿を通じて多くの人が幸せになれるよう願っております。
マルカミ農縁の活動拠点である東出雲町上意東は、島根県松江市の南東部に位置し、東出雲の平地と山間部が融合する中山間地域です。この地域は、平地と山地の豊かな自然環境に恵まれており、さまざまな農作物の栽培に適しています。
名称 | マルカミ農縁株式会社 |
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住所 | 〒699-0103 松江市東出雲町上意東357 |
TEL | 080-1645-4372 |
FAX | 0852-52-4708 |
代表者 | 代表取締役 上山根 有史 |
従業員数 | 3人 |
資本金 | 200 万円 |
事業内容 | 稲作、果樹 |